2009年8月アーカイブ

ザリガニ

 暑い夏だった。

 

 私の育った家の一帯は、いわゆる新興住宅街というやつで、家の前に細い道を挟んで、幅2m程の水路がある。今はコンクリートでがっちり固められているが、昔は名実ともに「どぶ川」というにふさわしく、子供にしてみれば格好の遊び場だった。1980年代初めの話である。

 

 夏休み近くともなれば軽々と背丈を超える雑草が生い茂る。子供にとってそこはさしずめ洞窟かジャングル、といったところか。どちらにしても一大アドベンチャーランドには違いない。1980年代の初めというと、83年に東京ディズニーランドがオープンしたが、そんなアメリカ製の作りモノの冒険には目もくれずに(単に連れてってもらえなかっただけだが)、学校から帰ってランドセルを放り投げて(子供向けテレビ番組の影響で、当時ランドセルは放り投げるのが正しかった)、毎日目の前の「どぶ川」に向かった。目的は、ザリガニ釣りである。

 

 今思い返しても感心するくらい大量のザリガニが釣れた。お手製の、棒っ切れに糸をたらした竿の先にするめいかの燻製をくくり付ける。それを川にちょんと入れれば向こうからいくらでも食いついてきた。入れ食いである。ディズニーランドに連れて行ってもらえない少年は、当時日本中で増えに増えていた外来種のアメリカザリガニを弄ぶことで、その鬱憤を晴らしていた。

 

 そんなことより、問題は釣り上げた後のザリガニたちの世話のこと。子供のことだから楽しいのは釣るという行為そのもので、いざ釣ってしまえばそれに対する興味は半減する。さてどうするか。お櫃のでっかいのに所狭しとザリガニたちがうごめいている。ましてや炎天下。慣れない生活環境にザリガニたちは一匹又一匹と息を引き取っていった。

 

 ある日、母方の実家に行ったときのこと。頭の中がザリガニでいっぱいの孫を見てじいちゃんが言い出した。「食べてみるか?」不意打ちである。まさかあんなものが食べられるとは思ってもいない。しかしそこは好奇心だけを頼りに生きている小童(こわっぱ)のこと。二つ返事でその話に乗った。

 

 祖父は大正7年生まれ。正真正銘の「戦中派」は、ザリガニが食べられることを知っていたのである。

 

 最近、よく周りの人に子供の頃の食べ物の話を聞いている。どんなものを食べてきたか?食卓にはどんな料理があったか?聞いてみて、いわゆる団塊の世代である私の親の世代と、その子供である私達の世代にそう大差はないと思った。それぞれ、子供の好むジュースやアイスなどもすでにあったし、食卓には、頻度の差こそあれ当時のご馳走である刺身や洋食のたぐいも上がっていたという。

 

 ではいったいどのあたりから急激に変わるのかというと、これは先の戦争とその前後にまでさかのぼるようだ。あの戦争でこてんぱんにやられたことに端を発する経済成長が始まってしまった後は、その暮らしぶりは今の今まで傾向を一にする。つまり、食卓の近代化である。

 

 近代化は、生産採取の現場から人間を遠ざける。スーパーに行けば食材は並んでいるのであり、食材どころかすでに調理してあるものが幅を利かせているのが昨今である。これは今に始まった話ではない。50年も前から、もしかしたら文明開化の明治の頃から、向かっている方向は同じなのだろう。

 

 ところでザリガニ小童はその後どうなったのか。これが喜び勇んで、ザリガニを食べた。遠慮もなく。それも生で。味は海老そのものだった。お櫃いっぱいのザリガニは、小童の安易な好奇心と旺盛な食欲によって、その生涯を閉じていったのである。もちろんその晩、彼が声にならない悲鳴を上げながら便所でのた打ち回ったことは、言うまでもない。

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