2009年10月アーカイブ

里芋

画像 1071.jpgのサムネール画像十五夜はたしか、9月じゃなかったか。いや、いつもそういうわけではない。今年は103日である。

 

月々に月見る月は多けれど

     月見る月はこの月の月

 

昔の人がそう言って愛でた月は、旧暦815日の月のこと。夏のぼわっと膨張した空気が、どこからともなくやってくる秋の気配に押しやられ、きれいに掃き清められた空に、月がひとつ。日本人は昔から、'この月の月'をことのほか愛でてきた。

 

その、旧暦でいくと815日が、いわゆる'お月見の十五夜'のことである。おおむね9月にその日がやってくることが多いのは事実だが、なにもそれは9月ばかりとは限らない。たとえば2009年は、旧暦で815日にあたる日が、今の暦だと103日ということになる。103日が新暦で、815日が旧暦。ややこしいことこの上ないが、'旧'ではあっても'ちゃんとそれを生きている'のだがら、'元'ではない。だからこそ今でも日本人は、月に寄り添える。

 

どうして新暦と旧暦で、およそ一月半もの時差が生まれるのかという話は、こうだ。

 

まず'新暦というのは太陽暦'だから、太陽を基準に考える。地球は太陽の周りを回っていて、ぐるっと一周元の位置に戻るまでに要する時間が、1年である。これを日数に直すと、365.2422日、なのだそうな。この0.2422日という半端を調節するために、およそ4年に1度、1年が366日という年がある。お馴染みのうるう年である。もちろんそれ以外の年は、1年は365日だ。

 

一方'旧暦は太陰太陽暦'というもので、太陰()を基準の柱にして、太陽暦のいいところを取り入れて補う。月は満ち欠けを繰り返しながら地球の周りを回っているわけだが、ぐるっと一周元の位置に戻るまでに要する時間が、1ヶ月である。これは日数に直すと、29.53日、なのだという。1ヶ月が29.53日だと、1年つまり12ヶ月は、354.36日。あれ、これでは365.2422日であるはずの1年に、およそ11日足りない。そのままで167年もたてば、季節が逆転してしまうことにもなる。だからこれを調節するために、およそ3年に1度、1年が13ヶ月という年があるのが、旧暦である。つまり旧暦の1年は、354日のときもあれば、1ヶ月分の30日足して、384日のときもあるというわけである。

 

ということで、この、新暦の365日(もしくは366日)に比べて、11日少ない旧暦の年と、19日多い旧暦の年があるということの差が、その年の十五夜の時差となって現れてくるのである。ところがさらに、これだとどちらにしてもだいたい半月の差にはなっても、'1月半もの時差'にはならない。これは、'明治の改暦のときに暦を1ヶ月前倒しにした'ことによる。明治政府は暦を変えるにあたって、旧暦明治5123日を、新暦明治611日にした。その初めの時点ですでにおよそ1ヶ月の差が生じていた、というわけである。いずれにせよややこしい話だ。

 

それだけでもややこしい新暦と旧暦を同時に載せてしまう日本のカレンダーの理解は、こんな風に面倒を要する。しかし、なんにつけても'知っててあたり前'という常識はきっともう崩れてしまっているのだから、大事なことがわかりたかったらこのくらいのしちめんどくささは甘んじて受け入れるべきなのかもしれない。

 

暦について調べていて、その面倒巡りの中で、さらに面倒なことを考えてしまうのは、性分であり、ライフワークである。'新暦と旧暦の両方を生きている日本人とは、会社や家族に対する自分の関係に似ている'、ここからはそんな話である。

 

太陽を会社に置き換えて、その周りをひたすら回っている地球は、自分である。地球を自分だとすると、それに付随して寄り添う月は、家族のようなものだ。あるいはこれを、愛する人に置き換えてもいい。

 

太陽は万物に命を与え、育む。その恩恵は明るさにある。太陽の基準はとてもわかりやすく、すなわちこれは、明るいことはいいことだ、であり、未来志向、であり、昇るか、沈むか、である。この直線的な志向は、白か黒かで物事を判断せざるをえない経済社会の考え方に、そして近代合理主義に、抵抗なくリンクする。

 

一方月は、万物に慰みを与え、ときに、許す。その恩恵は、やさしさ、だろう。夜が明るい現代にはわかりにくいことだが、街灯のない場所で空を見上げたり、突然の停電などで出くわしたときの月は、とても美しく、慰みに満ちている。美しさはやさしさをも含む、といういい例である。あー、夜ってこんなに暗かったんだと、暗さを知って始めて月の明るさを知る、という知り方で、本当の明るさ(美しさ)を教えてくれる。そして万物を、立ち止まらせる。

 

月は、新月から三日月、半月、満月となって、そしてまた新月へと戻ってゆく。常に表情を変えるその姿は、月はこうでなきゃいけない、という判断を遅らせる。今日の月もアリだし、明日の月もきっとアリだ、という形で。そこで知るのは、裁かないことの尊さであり、裁かれないことの有難さである。家族は裁けない。

 

十五夜が10月にもあるということは、こんなことを考えるためでもあるかもしれないと、勝手に考えている。もしかしたら今の世の中で家族が成り立ちにくくなっているのは、月に添い立ち止まることを忘れているからじゃないか、とついでに考えて、やっぱり面倒がらずにお供えの準備をしようと思っている。

 

十五夜のことを、別名、芋名月と言う。十五夜は秋の収穫祭でもあるから、その頃に取れ始める里芋を月に供えるのである。そういえば地元の農産物直売所に行けば、すでに里芋が並び始めている。こういうときに思う。ちゃんとつながっているんだと。

堀澤宏之堀澤宏之
【ほりさわひろゆき】
料理家


おいしい食材とおいしいお酒をこよなく愛する若き料理人。

料理工房ほのじ Web:日々の仕事
群馬県伊勢崎市大手町6-21
TEL0270-75-1288

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