2010年6月アーカイブ

水(後編)

RIMG0746.JPGのサムネール画像

では「革新」ってなんなんだ、ということだけれど、これは、軋轢が生じる危険を冒してでも変えなくちゃならないとき、に生まれる。軋轢どころではない危機感、が「革新」を生む。

たとえば今の政権が始めた事業仕分け、というあれも、ある意味では「革新的」なのかもしれない。けれども私はめんどくさいから、あれは「革新」だとは思えず、じゃあなんだってなれば、あれは、「当たり前」でしょう。

説明になっているか。

結論からいけば、それ相当の寒い思い、を伴わないものを「革新」だと認めたくないわけです。そういう意味で事業仕分けは、その基本姿勢において「当たり前」、でしかなくて、だから「保守」で、「保守としてやるのが当然」、と思うわけです。

 だから「革新」というのはおそらく、政治が真っ当ならば必要がない、ようなものが「革新」なので、「革新」は政治の中に、いるのかもしれないが、活躍はしない。現代に「革新」が生まれないのは、国民が、「それ相当の寒い思い」を負うつもりがないからである。それでも何かが革まってほしい、と思っている国民は、「寒さを負う」つもりはさらさらなくて、どこまで行っても要するに、「保守」である。だから「革新」は、なかなか生まれない。「革新」は、いるとすれば、国民一人一人の中に、いるとすれば、いるのかもしれないが。

 それで前回の、水を飲む、という話。体のことを考えると、水はほどほどに飲む、というのが現状維持としての発想である。もっと「現状維持」に沿って考えれば、体温に近い水をほどほどに飲む、ほうが良策だろう。けれどもここで飲むのはあくまで生水、それを大量に飲む、というのはどういう了見か。

 体温より低い生水は、飲み過ぎれば体を冷やす。けれどもその「いいから飲み過ぎてしまいなさい」と言い張る健康法は、こう説明する。

「水を飲み続けていると、人間の体というのはよくできているもので、これ以上冷えてしまったらまずいな、というところまでくると、水を飲んでも冷えない体、になろうとします。そうなったらしめたもので、今度はその体自体が熱持ちのいい、つまり冷えがなくて疲れにくい体になるのです。そこに至るまでに、寒い思いも少なからずあるでしょうが、冷えがなくて疲れにくい体になるのにはそれも必要なことなのかもしれません」

 そういうことのようです。

 

 この、なんだかキツネにつままれたような気もしないではないこの理屈が、空腹時に生水を飲む理由となる。冷えを改善するために体を冷やす、などという理屈は、貧乏を克服するために貧乏になる、というようなことと一緒で、逆説的思考に慣れていなければ理解することの容易でないものです。けれどもこうしたムズカシイ理屈も、「寒い思いはしたくない」なんて悠長なことを言っている場合ではない人間にとってみますとすんなりと納得できたりするから、不思議です。身に染みないと何も始まらない、とは、きっとそういうことだろう。

 なにも、この長い話は、いいからとにかく体を冷やそう、という話ではない。むしろそんなことはしないにこしたことがない、と思っている。けれども世の中にはそうした危機に直面している人も少なからずいて、あるいは危機だとは思わないまでも革めたいという人もいるだろうから、そういう状況にとっては意味のあるもの、くらいのものである。

 「あなたは今、『革新』を必要としていますか?」つまりそういうことだろう。

 さて、話はもう少し続く。

 以前に私はこんなことを書いた。

水分を抜いた食材は旨みの宝庫である。ここに水を加えると、かりに脱水前の水分量に戻ったとしても、旨みが増していたりする。せっかく抜いた水分を補うとは本末転倒のような気もするが、ここがまた料理の面白いところで、「しっかりとした脱水」という大きく振れた振り子は、「加水」というまったく逆の工程に入ると同時に、同じ大きさの反発力をともなって「旨み」へ向かってくれるのである。」

 これもまた、「革新」である。そしてここに出てくる「反発力」というこれが、「革新」の最も根幹の、よりどころとなるキーワードなのだと思う。「革新」はいわば、個体の「反発力」を利用した前進法、である。つまりはこの、「反発力」への信頼がなければ、自ら寒い思いをしようとはだれも思わない。そしてまた、だから、以前に書いた時も同じことを言っているのだが、「そろそろ本気で、「反発力を伴って進む」ということをわからないといけないのかもしれない。そしてそれは反発力のあるうちでないと、意味がない。」ということになる。

 結局2回にわたって書きましたこの話は、この最後の2文の、補足説明です。

 その上で、今回は少し、違う。

 「反発力」について、これはたしかに有限なものなのかもしれないと、思う。けれども「信頼」は、無限なものだ。

 
 だからなんだっていうと、だから、人生はいつだって始められる。たとえ、あなたに力はもう残っていませんよ、と誰かに決めつけられたとしても。

水(前編)

RIMG0746.JPG 人間の体のどのくらいが、水分なのだろうか?

 科学が計算した数字は少なくも半分以上は水分だったように思うが、実感としてはよくわからない。肉と骨、はわかる。水、はどこにいるのか。肉と骨の中、か。だとしたらなんて、慎ましいことか。

 「水を飲む健康法」というのがある。人間は体の半分以上が水なんだから健康法もなにもなく、飲まなきゃ死ぬ、のが本来の水。それをあえて飲もう、というのは、その飲み方が間違っている、か、もしくは飲む量が少ないか。私の辿りついた理屈からいけば、私はそのどちらにも当てはまるようだ。

 食事中に水を飲まないと料理が食べられない、という人がいる。私もその一人だと思う。ところが食事中は水を飲むべきでない、という健康法がある。理由は水によって胃液が薄まってしまうから。それによって消化作業に支障をきたすから。これは飲み方の間違いを指摘した、ひとつの例。

 今度は、空腹時にはひたすら水を飲みなさい、という健康法もある。それで代謝が促されて老廃物が排出される、のだとか。健康法は言う。がんがん飲みなさい、と。だがこれに対しては、飲み過ぎるな、という健康法もちゃんとある。

理屈も大事かもしれないだが、こうなるときりがない。体の中は覗けないので理屈がわかったとしても、なんとなくでそれまで。体感がないとわからないから、いちいちやってみることになる。

まず上記のように、食事中はできるだけ水分を控えてみる。そうやって食事をすると体がポカポカ温かくなるのがわかる。自分の体が率先して消化作業をしているのが、わかる。私は、食事中に水を飲むのが悪だとは思わない。水分の補助を受けて消化する、あるいは補助を受けなければ消化できない、という状況も想像できるからである。でも、水分に頼らずに自力で消化できるならばそれに越したことはない、とは思う。食事中はできるだけ水分を控えるようにしている。

今度は、空腹時に水を飲んでみる。できるだけ飲む。飲んでどうなるのか。お腹がチャプチャプしてくる。これで本当に、老廃物は排出されるのか。こちらのほうは実はいまだに、よくわからない。水も老廃物になる、という考え方も一方にはあって、ときにそれが体の不調を引き起こすことだってあろう。むくみ、などそのわかりやすい例かもしれない。 

 

では今もって水を飲み続けている私は、どういうつもりなのか。

 ところで話は変わって、水の話のつづきの前に、政治についての話を少し、それが水の話につながるので、しなければなりません。今は2010年の6月。時の内閣はやっとの思いが実っての、民主党政権。こんな書き方は政治について一家言あるようにも聞こえてしまいそうですが、私は政治にまったく疎い。保守も革新もわからない。が、その、この「保守」と「革新」の違いがわかることが、さっきの水を飲み続ける理由につながる。 

 

「保守と革新」って、なんだ。

 政権を取る前までの民主党は、野党だった。私はてっきり、与党というのが保守で、野党というのはすべて革新かと思っていた。だからその革新の野党である民主党が政権をとる、というのはとてもわくわくしたものだ。でも見ていると、一概にそういうことでもないらしい。

 字面からいけば、保守は保つ、守るで、ならばベースにあるのは現状維持、で違いない。保守に対して革新は、改める(革める)、新しくする。こういうのはあくまでその「現状」があっての話だから、そのときどき、状況によって相対的に変わる。

それでこの二つ、比べようとしているのは、政治を進めてゆく、という場面においてどちらに軋轢が大きいか、ということ。これはもちろん「革新」だろう。すべての生き物にとってその大事が生存、つまり種を残すということであるとして、そこに軋轢は少ないほうがいい。だから世の中の基本は、「保守」となる。

もう少し具体的にならないか。保守が大勢を占めるとき、とは、どんなときか。

すぐに思いつくのは、現状が泰平で、みながその状況におおむね満足しているとき。こういうときはその内側に革新を抱いていたとしても、保守が大勢を占めることになりやすいだろう。これとは逆に、現状は独裁恐怖政治の世の中で、そこからはみ出したら一貫の終わり、というようなとき。これは、不満よりも恐怖心のほうが勝ってしまえば、現状は保守になろう。ほかにはどうか。こんなのはどうだ。現状が、イケイケのとき、さらに進んで、ノリノリのとき。そんな時の革新は見向きもされないんじゃないか。昭和の高度成長期なんてそうだったろうし、バブルまで、がそうだったろう。

歴史を検証してみれば、まだまだ具体的になるかもしれない。が、結局、「世の中の基本は保守」なのである。

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