2011年3月アーカイブ

白菜漬け

RIMG1446.JPG「ジョウモウ大学」という試みが、高崎の若手事業家やデザイナー、遊び人たちを中心として、この夏に始まる。いわゆる市民大学というのと一緒で、キャンパスを持たず、時を変え場所を変えて学びの場を手作りしていく趣向である。

 

先日そこのプレ授業を任されて、「発酵」をテーマに講義をしてきた。

 

この授業が行われたのは2月。2月というのは畑にとってみると端境期で、冬野菜はそろそろ終わりだが春の野菜にはまだ早い。なので、自然と隣り合わせで暮らしている人にとっては、1年の中で最も保存食に頼る1ヶ月、ということになる。

 

以前に「おせち」の回にも書いたが、食べ物が腐る要因の多くは水気にある。水分の中に雑菌が増殖して、食べ物は腐る。だとすると日持ちをさせたければ水分を抜けばいい。そのために干すという知恵が生まれた。切り干し大根、ずいき(里芋の茎)、干し芋、干し柿など、冬場の農産物直売所には干した食材がよく並んでいる。

 

干すことが雑菌を増殖させない知恵だとしたら、あえて菌を増殖させて雑菌と戦わせる、という保存方法も一方にある。それが漬ける、という発酵の知恵。塩漬け、ぬか漬け、味噌漬け、麹漬けなど、これらはすべて発酵食品である。

 

発酵というのはそのメカニズムが腐敗ととてもよく似ている。では違いは何かというと、人間の体にとって有益だと発酵、有害だと腐敗、ということになる。実に人間的というか都合がいいというか、乱暴な決め方だなとは思うが。

 

でもそういう見方で発酵と腐敗を考えてみると面白いことがわかる。というのは、何が自分にとっての有益で何が自分にとっての有害かの境目は、すごくあいまいだからである。

 

たとえば牛のもも肉を買ってきて1%の塩をまぶし、冷蔵庫にほうっておく。赤かった肉の色は次第にくすんできて、赤い肉にしかおいしそうという反応を示さないようにインプットされている私たちにとっては、とても食べられるようには見えなくなる。でももしかしたら、これは単に、熟成が進んでいるだけかもしれないのである。

 

冷蔵庫にほうっておかれた牛肉は、次第に怪しげなにおいを放ち始める。これが発酵臭である。そのとき冷蔵庫の牛肉に何が起きているのかというと、低温熟成→低温発酵→腐敗、という変化。先ほど私が面白いと言った境目とは、低温発酵→腐敗の狭間のことになる。つまり、ある人にとっての腐敗はある人にとっての発酵になる、というのが面白い。

 

人間の体は、腐敗しているものを食べれば腹を下す、ようにできている。このことは、食べてみないとわからない、という自由を与えてくれる。そして食べてみて、ある人にとっては問題なく、どころか極めて豊潤にかぐわしい悦楽の食材として胃袋に納まる食材が、ある人にとってはただの不快感しか与えない代物、であったりする。

 

どこからが腐敗でどこまでが発酵かは人により違う、のである。

 

どうも今回の「ひとしな」は長くなりそうだ。大事なことを伝えたいときは長くなってしまう。いや、単に文字数で自分を落ち着かせようとしているだけか。なんだかよくわからないけど進める。

 

前出のプレ授業の話。この日取り上げた食材は白菜漬け。まず、漬けた期間の違う3種の白菜漬けの食べ比べをした。漬けて7日目と14日目と21日目のものを用意。白菜漬けの一般的な食べ頃は57日目のものとされることが多い。発酵の始まった酸味と共に、白菜の甘みが最も際立つのがこの時期の白菜漬けである。14日目、21日目となれば発酵は進み、乳酸菌の存在感が味にも反映されてくる。ヤクルトの味を思い浮かべていただくといい。21日目の白菜漬けの漬け汁をなめてみると、こりゃヤクルトだなって思う。

 

当日の参加者は30名程度。この3種を食べてもらってどれが一番好きかを司会者の方が聞いてくれた。予想に反して同割りの意見。面白かったのは、最も発酵の進んだ21日目の白菜漬けが好みと答えた方のほとんどが、酒を常飲していると答えたこと。

 

続いて食べてもらったのが、白菜漬けの鍋。白菜漬けと干したえのきだけを、豆乳で仕立てた昆布だしで食べていただいた。白菜は野菜の中でも旨み成分グルタミン酸の多い野菜で、漬けてますます旨くなる。一方えのきだけは干して水分が抜けると、旨み成分グアニル酸が10倍以上にも増えるのだとか。肉や魚の、ましてや人工の旨みは一つも入っていない鍋であるが、それでも十分に満足感のある料理ができるのである。

鍋のあとには、雑炊。玄米で雑炊。これもおいしい。さらにその雑炊にトスカーナのオリーブオイルをかけると、一段とテンションは上がる。こうやって畳み掛けるように白菜鍋に雑炊を食べてもらったのは、漬ける、干す、といった食材を日持ちさせるための知恵の中には、単純においしくなってしまうという利点があるということの、確認でもあった。

 

そうしてそうやって、授業もこのくらいまでくると、参加された皆さんは次は何が出てくるのかを待つようになる。私って悪いやつだ、と思いながらも、最後の一品として、白菜漬けのチョコレートフォンデュを出してみた。

 

食べ方はいたって簡単。白菜漬けにたっぷりのチョコレートを絡めて食べるだけ。口の中から聞こえてくるのはシャキシャキという白菜漬けの小気味いい音色。けれども味はチョコレート。想像していただけばまったくそのとおりのことが口の中で起きていることになる。おそらく試したことがないだろうから味の想像がつきにくいと思うが、白菜漬けとチョコレートは味の相性という点で違和感はない、というのが私の意見。

 

食べた皆さん、爆笑している方から嫌悪感が滲み出てしまっている人までさまざま。これでいい。だって私だって、こんなのを好きだなんて言ってほしくないという気持ちなんだから。でもありなんだな。ありだと思う人にとってはありなんだな。それは、「これは腐ってる!」と決め付けられた食べ物を「おいしい!」と感じることがある、というのと一緒なんだな。

 

結局何が言いたいのかというと、自分で考えて決める、というそのことなんで、それは自分を信用している、ということでもあって、たとえば賞味期限や消費期限なんというのは一つの情報としては役立つけれどそれに追従しちゃうのは自分を放棄することに他ならないんだ、ということなんだな。

 

今、世の中は未曾有の大地震で、地べた以上に我々が揺れている。この先も長い間、揺れ続けるだろう。さまざまな情報が飛び交う中で肝に銘じて、というより、それ以前に地震があろうがなかろうがそろそろ気がつかなくちゃいけないのは、情報はあくまでも情報で、それを自ら検証しようという能動的な姿勢を失ったら自分はいなくなっちゃうよ、ということだと思う。ほら、そこの納豆買い占めているあなた、あなた、とっても奴隷だよ、ということなんだと思う。

 

私を含めてあらゆる人が、そんな、奴隷という言葉みたいな耳障りのよくない言葉と、自分の行動のどちらが下品なのかを突きつけられているのである。

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