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おでん

大黒柱は要らないのだろうか、なんということを思ったのは、おでんを食べていたとき。

 

おでんとは、「おでんダネ」という複数の具材と、「おでんだし」と言われる、おでんダネをおいしく食べるための汁が相まって完成する料理であるのは、その通り。つみれ、はんぺん、ちくわに始まる魚のすり身の加工品や、あるいは大豆の加工品となれば、豆腐や厚揚げ、きんちゃくということになる。地域や店により、タネはいろいろに、変わる。

 

たとえば関東に住む私には馴染みのちくわぶ(うどん粉をかためたもの)も、そこを一歩出れば他地域にはないらしい。北に行けば、ツブ貝などの魚介類があったり、関西に行けばすじ(牛筋肉)が定番であったりもする。沖縄に行くと、豚足もおでんになってしまうとか。

 

ところでおでんにとって、メインのおでんダネはなんなのか。

 

通称「練り物」と言われる魚のすり身の加工品なんかは、その個性でおでん鍋の個性が決まる、と言っていいくらい、おでんにとっての生命線かもしれない。これか。でもそれに匹敵するくらいのうまいタネは、他にもある。

 

たとえばがんもどき。揚げてあることでだしに油が出やすいのでしっかりとした下処理が必要だが、もとは大豆だから、刻んで混ぜた野菜の味と渾然一体にだしの味を吸って、なんともうまくなる。

 

いやでもだったら豆腐か。あるいは「やき」と言えば、江戸っ子ならばこれで一杯やると相場は決まっている、焼き豆腐のこと。落語「替わり目」にも出てくるのはお馴染み。シンプルだから、江戸っ子が好みそうなおでんダネである。

 

こんにゃくはどうか。でもこれはどうなのか。もともとが固いから、口に入れてだしが順を追って口の中に出るんじゃなくて、あるところから一気に噴出する。これが知覚過敏にはきつい。だが温度が一段下がったところのこんにゃくは、それはもう格別に、うまい。

 

大根もまた、しかり。もちろんだしがうまくなきゃ、もちろんダメ。

 

卵。これは子供のころ、いつも取り合いになったっけ。あの固ゆでの黄身の、口の中の水分を持っていかれる感じはちょっと、という意見もあるか。でも卵、今でも取り合いになる。

 

さてこうやって並べ立ててみて、まあ要するに、よくわからない。どれも、もちろんここに出てこない多くのおでんダネを含めて、メインとかサブという括り方には向いていないのだろう。逆に言えばおでんは、すべてがメイン、という言い方だってできるのかもしれない。

 

なにも、ここでおでんの比較文化論にチャレンジしたいわけでも、各々の具材に対する思い入れを述べたいわけでもない。つまりはその、「すべてがメイン」というのは、なんかそういう傾向かもしれないと、そう思ったのである。

 

たとえば「ぶり大根」なんという料理であれば、これはメインはぶりである。あるいは「肉豆腐」であれば、肉が無くては始まらない。ところがおでんでは、大根や豆腐は主役級の扱いを受けることになる。

 

結局、食べる側にとってそのおでんダネがどう位置づけられているか、にすぎない。これはある面においてはとても自由な食べ物である。食べる側のその人その歴史によって、目の前のおでんはいかようにも変化してゆくのだから。

 

それでいておでんは、一個の料理として、つまりは一つ鍋ですべてが完結するという全体性も備えている。個々の持ち味を最大限に活かしながらも、全体性を保てるのはその懐の深さゆえ。さまざまな具材が、おでん鍋に放り込まれとたんに気持ちよさそうにしているなあと、思うのである。

 

大黒柱は要らないのだろうか。

 

そんなことを思ったのは、最近である。

 

「おでん燗酒、甘いと辛い」なんて言う様に、おでんと言えば甘い「味噌おでん」のことだった江戸時代も末期、醤油で煮る辛い「煮込みおでん」が始まった。そういう歴史、つまりは確実に世の中が家父長を基軸として動いていたときからの食べ物であるのに、どういうわけかそのおでん自体は、むしろ現代の、つまりは大黒柱という発想を持ち込みにくい状況に、酷似するのである。

 

大黒柱は要らないのか。いや、おでんにおいてはすべてが大黒柱、ということか。でもほんとにそうか。おでんとは個性の集合体ではあっても、父性の集合体ではない。はたしておでんに父性はあるのか。「おでんだし」が、父性なのか。いや、おでんだしは母性じゃないか。ならば父性は。

 

おそらく、おでんは社会ではあっても、家族ではないのかもしれない。そしてもしかしたら、家族はもうどこにもなくて、実はこれが、新しい、家族なのかもしれない。

 

おでんの難しさは、それぞれのタネがそれぞれに個性を出しすぎると味が詰まってしまう、つまりは味が混み合って取り留めのないものになってしまう、というところ。だからタネの一つ一つにしっかりとした下処理が必要になる。おでんが一つ鍋であるが故の、難しさである。

 

そしてこれこそが、おでんの面白さである。

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このページは、堀澤宏之が2011年7月 2日 11:23に書いたブログ記事です。

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