2011年9月アーカイブ

リアルカンパーニュ

あいかわらずよく酒を飲む。酒を飲むために生きてるのかと言えばそんなことはわからないが、なんてことはない「おいしく酒を飲みたい」というところで普段の生活の逆算が始まるんだから、これは酒を飲むために生きているということなんでしょう。

 

酒を飲めば喰い意地が張る。ひとしきり酒が終わるまで、一体次は何が飲みたいか、と、だったらそれに合わせて何を食べたいか、を、交互に、かつ、まじめに考えている。まちなかで酔っ払って、体の中からあぶり出される食欲と向き合いながらウロウロすることしばしば。側から見れば、きっとアブナイやつだろう。

 

そんなことより、食事のときに、これは酒を飲まない食事のときに、なにが主食かという話です。私の場合はほとんどが米。それでその米は白米ではなく玄米のことが多い。つまりは玄米党、である。

 

昔からそうだったわけでなく、子供時分の食卓にはパンはあったし、ご飯といえば白い飯だった。7,8年前に、ご飯を玄米にしてみたら体調がよかった。ならばおいしく食べたい、というので炊き方や米の種類を工夫してみると、これが実においしいことがわかって、結果、玄米が白米を押しのけてしまった。

 

とうわけで何が言いたいのかというと、今日もおいしく酒が飲めるのはこの玄米のおかげ、という、あらためて玄米のすごさと酒のありがたさを噛み締めつつ日々を送っている私の、今日は、パンの話です。

 

ややこしいな。

 

要するに、私はパンにはうとい、ということが言いたかったわけです。

 

ベーグル、というパンをはじめて食べたのは最近。半年ほど前、高崎の地産地消の八百屋兼飲食店(「すもの食堂」と言う)で、「これ食べてみて」と出されて食べたのが初め。知ったところのパンに比べればそれはもう歴然とした違いの歯応えの塊で、一番驚いたのは噛むほどに小麦粉の味がじんわり沁み出してくること。そうやってあらためて、パンは小麦なんだってことに気づいたはいいが、それ以来、小麦の味がしないパンがいかに多いかがわかってしまって、これはうどんもしかり、なんだが、そうして小麦の味のしないパンがパンだと思えなくなってしまった。

 

パンがパンでなくなってパンになる、という、要するにパンとの親身な関係が始まるというのは、こういうことなのでしょう。

 

関係が始まる。小麦粉の味がしないのは嫌、となる。だったらパンなど喰うな、とでも言われているような、趨勢。肩を落としかける我食いしん坊ナリ。時に出会ったイカしたパン。その名はカンパーニュ。

 

カンパーニュ。よくわからないがそういうパンがある。

 

フランスパンの一種で、田舎のパン、という意味だとのこと。お惣菜、が、家庭料理のおかず、というのと一緒である。カンパーニュは、やはり硬い。小麦の味のするパンは押しなべて硬いのだろうか。

 

このパンの持ち味は、その力強い酸味。そんなことを知り、こうしてまた、パンとは発酵食品であった、という当たり前のことに気づかされる。パンがパンでなくなってパンとなる。これもちょっとした、ルネサンスかもしれない。

 

カンパーニュの酸味は言うなれば、小麦の味の向こう側。それを知って嬉しいのかもしれないが、これはパンにおける前提条件とはならない。たとえば米の味がするのが日本酒の前提条件だとしても、熟成老ね香の山廃仕込みでなくとも日本酒は日本酒だ。

 

そう考えると、カンパーニュは、パンという食べ物を分け入った先にある、なんだか奥深いもの、のような気もしてくる。

 

カンパーニュというパンは、田舎のパン、でしかないのだが、その中には、地元で取れた粉でこねたパン、という意味も含まれているらしい。ところがこの田舎パンが流行りだすと、地粉でないのにカンパーニュとして売る輩も出てきているとか。それを憂えたフランスの田舎のお母さんたちが、かどうかは知らないが、リアルカンパーニュ、という言葉を作り出した。

 

こっちが本物のカンパーニュだよ、という意味である。

 

これは、カンパーニュをファッションではなく生活の一部として、「カンパーニュという切実」を生きている人間の、抗議である。あるいは、「そんな風にカンパーニュを扱わないでおくれ」という願いかもしれない。

 

パンがパンでなくなってパンになる。

 

このごろ、ナンデモアリは飽きてきた。そろそろ、リアル党でいきたい。

焼きおにぎり

夏の四国に行ってきた。

愛媛である。

 

そもそも四国に入ること自体が初めてで、いわんや愛媛県について知っていることと言えばせいぜいがあの道後温泉、程度。博識ならぬ薄識もいいところ。道後温泉など、これは山奥の鄙びた温泉街をイメージしていたらさにあらず。松山市という県庁所在地の街外れ、言わば街に直結した温泉街、であった。

 

元来が街並み好きなので、そういうものの出てくる書物を引っ張り出してきてはぼんやり眺めている、なんていうことがよくある。これは旅に出ずして旅をするという、創造的かつ高等な遊びなんだが、どうしたって想像なわけだから独りよがりになる。勝手な脚色はなはだしく、実際から遠ざかることしばしば。

 

街並みたちはおおむね、つまりは独断と好みと、それからディテールを描くことのできない無調法により、セピア色に彩られる。セピア色に彩る、というのもおかしな言い方だが、彩色しようとするとセピア色になってしまう、という、これも好みなんだろう。

 

ところがそうやっていざ現地に行ってみると、色に満ちている。実に明るい。当たり前だ。当たり前なんだが、そうやって色がつく、という経験が、実際に現地を訪れる、ということの醍醐味なのである。

 

良くも悪くもはっきりする。ときに膨らみすぎたイメージに追いつかない現実に出くわして、消沈することもある。逆に、想像をはるかに超えて、言葉にならないような景色に直面できることも、ある。

 

愛媛県は、北は瀬戸内海、西は豊後水道に面し、東西でおよそ240キロ、南北で2680キロということで、言わば横に細く長い地形である。

 

平坦な場所が少ない、というのが旅後の印象で、とくに豊後水道に突き出た佐田岬半島から南側、宇和海を囲む海岸線は、それはもう斜面が多い。陸に上がったらすぐ山、そんな感じ。

 

そしてこの斜面がどうも、気に入ってしまった。

 

おそらくそんなことは、だだっ広い関東平野で暮らしている極楽とんぼだから言える気まぐれに違いないが、けれどもだだっ広いから不安になる、ということだってあるわけである。

 

斜め、であることは、一方では生活に様々な制約を与えるものだが、一方ではだからこその独自の文化、地に足ついた地域社会を産み出す土壌にもなる。

 

段々畑やみかん畑は斜面を利用して広がり、斜面を降りたらあとは海。宇和海を囲む暮らしは、果樹と水産業なしには成り立たない。

 

そんな宇和海を望む漁師町で、旅の途中、漁業を営むご夫婦に歓待を受けた。

 

静かな内湾の船着き場に、20畳程のいかだが浮かべてある。いわばお座敷島である。その上にはテーブルと座布団。襖の代わりということか、いかだの回りは大漁旗で結界が敷かれていた。

 

夕暮れ時、薄暗がりに浮かぶ大漁旗のお座敷は、今まで経験したこともなく優雅で、でありながらまったくもって落ち着いた色調と、独特に荘厳な雰囲気だった。

 

現場に到着の後、いかだの上で釣りに興じた。いかだの下には魚がうじゃうじゃいるのだ。もちろんだからって、そう簡単に釣れるわけじゃない。そうしているうち座は整って、一同座布団に身を委ねての乾杯。

 

宴の、始まりである。

 

料理は、「さっき採ってきたばかり」と主がうるさい程に繰り返す宇和海の魚介珍味。これを炭火で焼いていく。主自ら片手にトング。寸分違わぬトングさばきで次々に目の前のテーブルを、宇和海の幸が埋めつくしていった。

 

穴子、岩がき、さざえに鯛に。それは、少々塩分過多ではあるが、明らかにその食材の持つ力と、主のトングさばきでぐいぐい引っ張っていく。あっけにとられながらもわれに返るのは、時折肌をかすめる穏やかな海風が吹いたとき。そして、自分が海の上に浮かんでいることを知り、また、あっけにとられる。

 

ここは地球の上、には違いないが、海なし県で生きてきた私には、海の上は地べたの外、なのである。

 

と、誰かが海に水をこぼした。

 

「あれ?今光ったよね」

 

「夜光虫がいますからね」

 

夜光虫というのはプランクトンのことで、目に見えないほどに微細な生き物だが、外部からの刺激に青く光って反応する。

 

「ちょっと海に出ますか?」

 

主人がそう言って、一同の返答を確かめる間もなく小型船のエンジンをかけ始める。クルージングにつれてってやる、というわけである。

 

断る理由はどこにもなく、われ先にと船に乗り込む海の素人たち。そして、出航。

 

船が、風を切って進む。そこに便乗している私たちも、風を切る。水しぶきを上げて、歓声が上がる。無数の夜光虫が、この世のものかと疑うほどに、妖艶な光を放っている。す、すごい。海風が全身を包んで、陸の風と違うその外の風に、現実が遠のいていく。

 

もはやこれは、ファンタジーである。

 

現実も想像も、生きてるのか死んでるのかさえもわからなくなる、というような、自分を持っていかれてしまう、というような、体験。これも醍醐味、とするならば、やはり旅に出るべきだと思った。

 

お座敷島に戻り、いまだ放心。まるで戻ってくる気配のない現実感にいたたまれず、なのかどうか、気づいたら海に飛び込んでいた。いい年をしてよくやる、なんていうことは思い浮かぶ間もなく。海水は目を覚ますにはぬるかったが、その分海から上がったときの風がさわやかに感じられた。

 

宴の後のテーブルの上、消えた炭火の脇に、食べ残された焼きおにぎりがあった。こんなときでも腹は減る。丸ごとほおばって、ようやく少し、我に返った。

 

知っている味がして、ほっとした。

2012年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      

このアーカイブについて

このページには、2011年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年7月です。

次のアーカイブは2012年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。