v

焼きおにぎり

夏の四国に行ってきた。

愛媛である。

 

そもそも四国に入ること自体が初めてで、いわんや愛媛県について知っていることと言えばせいぜいがあの道後温泉、程度。博識ならぬ薄識もいいところ。道後温泉など、これは山奥の鄙びた温泉街をイメージしていたらさにあらず。松山市という県庁所在地の街外れ、言わば街に直結した温泉街、であった。

 

元来が街並み好きなので、そういうものの出てくる書物を引っ張り出してきてはぼんやり眺めている、なんていうことがよくある。これは旅に出ずして旅をするという、創造的かつ高等な遊びなんだが、どうしたって想像なわけだから独りよがりになる。勝手な脚色はなはだしく、実際から遠ざかることしばしば。

 

街並みたちはおおむね、つまりは独断と好みと、それからディテールを描くことのできない無調法により、セピア色に彩られる。セピア色に彩る、というのもおかしな言い方だが、彩色しようとするとセピア色になってしまう、という、これも好みなんだろう。

 

ところがそうやっていざ現地に行ってみると、色に満ちている。実に明るい。当たり前だ。当たり前なんだが、そうやって色がつく、という経験が、実際に現地を訪れる、ということの醍醐味なのである。

 

良くも悪くもはっきりする。ときに膨らみすぎたイメージに追いつかない現実に出くわして、消沈することもある。逆に、想像をはるかに超えて、言葉にならないような景色に直面できることも、ある。

 

愛媛県は、北は瀬戸内海、西は豊後水道に面し、東西でおよそ240キロ、南北で2680キロということで、言わば横に細く長い地形である。

 

平坦な場所が少ない、というのが旅後の印象で、とくに豊後水道に突き出た佐田岬半島から南側、宇和海を囲む海岸線は、それはもう斜面が多い。陸に上がったらすぐ山、そんな感じ。

 

そしてこの斜面がどうも、気に入ってしまった。

 

おそらくそんなことは、だだっ広い関東平野で暮らしている極楽とんぼだから言える気まぐれに違いないが、けれどもだだっ広いから不安になる、ということだってあるわけである。

 

斜め、であることは、一方では生活に様々な制約を与えるものだが、一方ではだからこその独自の文化、地に足ついた地域社会を産み出す土壌にもなる。

 

段々畑やみかん畑は斜面を利用して広がり、斜面を降りたらあとは海。宇和海を囲む暮らしは、果樹と水産業なしには成り立たない。

 

そんな宇和海を望む漁師町で、旅の途中、漁業を営むご夫婦に歓待を受けた。

 

静かな内湾の船着き場に、20畳程のいかだが浮かべてある。いわばお座敷島である。その上にはテーブルと座布団。襖の代わりということか、いかだの回りは大漁旗で結界が敷かれていた。

 

夕暮れ時、薄暗がりに浮かぶ大漁旗のお座敷は、今まで経験したこともなく優雅で、でありながらまったくもって落ち着いた色調と、独特に荘厳な雰囲気だった。

 

現場に到着の後、いかだの上で釣りに興じた。いかだの下には魚がうじゃうじゃいるのだ。もちろんだからって、そう簡単に釣れるわけじゃない。そうしているうち座は整って、一同座布団に身を委ねての乾杯。

 

宴の、始まりである。

 

料理は、「さっき採ってきたばかり」と主がうるさい程に繰り返す宇和海の魚介珍味。これを炭火で焼いていく。主自ら片手にトング。寸分違わぬトングさばきで次々に目の前のテーブルを、宇和海の幸が埋めつくしていった。

 

穴子、岩がき、さざえに鯛に。それは、少々塩分過多ではあるが、明らかにその食材の持つ力と、主のトングさばきでぐいぐい引っ張っていく。あっけにとられながらもわれに返るのは、時折肌をかすめる穏やかな海風が吹いたとき。そして、自分が海の上に浮かんでいることを知り、また、あっけにとられる。

 

ここは地球の上、には違いないが、海なし県で生きてきた私には、海の上は地べたの外、なのである。

 

と、誰かが海に水をこぼした。

 

「あれ?今光ったよね」

 

「夜光虫がいますからね」

 

夜光虫というのはプランクトンのことで、目に見えないほどに微細な生き物だが、外部からの刺激に青く光って反応する。

 

「ちょっと海に出ますか?」

 

主人がそう言って、一同の返答を確かめる間もなく小型船のエンジンをかけ始める。クルージングにつれてってやる、というわけである。

 

断る理由はどこにもなく、われ先にと船に乗り込む海の素人たち。そして、出航。

 

船が、風を切って進む。そこに便乗している私たちも、風を切る。水しぶきを上げて、歓声が上がる。無数の夜光虫が、この世のものかと疑うほどに、妖艶な光を放っている。す、すごい。海風が全身を包んで、陸の風と違うその外の風に、現実が遠のいていく。

 

もはやこれは、ファンタジーである。

 

現実も想像も、生きてるのか死んでるのかさえもわからなくなる、というような、自分を持っていかれてしまう、というような、体験。これも醍醐味、とするならば、やはり旅に出るべきだと思った。

 

お座敷島に戻り、いまだ放心。まるで戻ってくる気配のない現実感にいたたまれず、なのかどうか、気づいたら海に飛び込んでいた。いい年をしてよくやる、なんていうことは思い浮かぶ間もなく。海水は目を覚ますにはぬるかったが、その分海から上がったときの風がさわやかに感じられた。

 

宴の後のテーブルの上、消えた炭火の脇に、食べ残された焼きおにぎりがあった。こんなときでも腹は減る。丸ごとほおばって、ようやく少し、我に返った。

 

知っている味がして、ほっとした。

QLOOKアクセス解析

2012年1月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このブログ記事について

このページは、堀澤宏之が2011年9月13日 19:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「おでん」です。

次のブログ記事は「リアルカンパーニュ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。