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風邪をひいて2日寝込んだ。

 

1日目は吐き気と頭痛で終わり。ベッドの上でただ苦痛が過ぎ去るのを待つだけ。こういうのは、いつかきっと過ぎ去る、と思えるから待てるが、永遠に続くのかもしれない、と思ってなお待てるのだろうか。

 

一晩苦しめば、どうにか翌晩はそれより楽になる。今回もそう。楽になって、さて何かをやる気にもならない。こういう時はとりあえず、テレビをつける。

 

テレビをつけたらトキオが、アイドルグループの彼らが、鯛と平目の食べ比べをしていた。自分が食べたのが鯛なのか平目なのかを当てる。アイドルグループと言ってもそう若くはない。散々うまいもの食ってきたんじゃないのかと思いつつ、当たらない。食べた魚の感想、コメントは合っている気がする。おそらく、鯛と平目の違いに興味がないのだろう。

 

この二つ、一言でいえば華やかさが違う。鯛が圧倒的に華やか。口に入れた時の香り、甘み、鯛は平目に比べて、いやおそらく白身魚の中で最も華のある魚かもしれない。ならば平目はダメなのか。そんなはずはない。だいいち華があればいいというものでもない。平目というのは繊細で、かつ、噛んでいると後追いでやってくる力のある味、地べたの味、これが平目の特徴かと思う。華やかさはポン酢で補えばいい。

 

鯛が生きているのは潮の流れの急な所。そういう中で揉まれてアグレッシブに一生を終えるのが鯛である。片や平目は海底でのんびりと、見たことはないがゆったりと、暮らしている。それが味にも出る。どっちがどうだと言われれば、それぞれだ。

 

鯛はそれ自体が華やかだから、食べ時を生で食べるならポン酢よりも醤油が合う。そう思う。今まで食べた中でうまかったのは、京都「瓢亭」の鯛、それから、赤坂「青柳」の鯛。あんなねっとりとした、でありながら品があり甘く、そんな鯛はなかなか食べられない。どちらも瀬戸内の鯛だろうが、素材はもとより、取った後の処理の仕方、つまり締め方、保存状態、包丁の入れ方、そして締めてからどのくらいの時間でお客に提供しているかが、理にかなっているのだろう。

 

動物は、生きたまま食べてもうまくはないのだという。死んで少したって、それでうまみ成分がじわじわ出てきたころがうまい。つまり死んで初めて食材となる、ということである。

 

死んでからある一定の時間がたつと、死後硬直が始まる。硬くなっていく。その死後硬直の間に微生物の酵素が働き、タンパク質が分解され、うまみ成分が出てくる。肉と魚では少し違うらしいがよくは知らない。いずれにせよ種別にみれば一般的に、鶏肉で半日~1日、豚肉で45日、牛肉で2週間くらい、それで鯛や平目はおよそ24時間、つまり丸一日たったころが最もおいしいらしい。

 

動物は、生きたまま食べてもうまくないのである。

 

生きているときはうまくなくて、死ぬと、うまくなるわけである。

 

生命を有機的につないでいくためにはそれが都合いいから、そうなるのか。うまくなれば誰かが食べる。そこからまた生命が始まる。断絶しない。死ぬ→うまくなる→食べてもらう→、というのはだから細胞の中に組み込まれていて、そういうわけで死ぬとうまくなるのだろうか。

 

死ぬ、というのは、自分でどうこうできる範囲を超えるということ。もはやそのとき、自分という基盤は放り出されている状態である。だから死んだあとうまくなったとしても、それは死んだ本人がうまくしているわけではない。もうその時その亡骸はその手から離れている。うまくしてくれるのは、その中に住んでいた微生物(他者)である。これは自己放棄である。いや、死のうと思って死ぬやつは少ないだろうから、消極的自己放棄、ということになるか。

 

つまり、消極的自己放棄の結果、うまくなる、のである。

 

こういうのは、生きている最中にも同じようなことが結構ある。たとえば、便秘で苦しんでいるときにウンコを出したいとする。出したいんだからとにかく詰め込めば後ろから押されて前のやつは出てくるだろうと、普通は考える。ところが食ったって苦しくなるだけで出て来やしない。むしろこういう時は食わないに限る。断食である。断食すると体が危機感を覚える。そうすると細胞がこれはたまらんといって動き出すのである。ここに本人の意思はない。細胞は確かに自分のものかもしれないが、動いてくれよと言ってちっとも動かないのがやつらでもある。要するに、己の意志でどうのというのではなく、それを放棄したときに、案外体はしぶとく蘇生するようにできているのである。

 

要するにこれは、自己放棄の結果、うまくいく、である。

 

しかしなかなかそううまくいくものでもない。早く仕事を終わらせなくちゃ、早くウンコを出さなくちゃ、早く病気を治さなくちゃ、こういう脅迫にも似た切迫感はそこら中にごろごろ転がっている。そんなときに自らを手放すのは難しい。けれども勇気を出してなのか、あるいはあきらめ半分でもかまいやしない、いったん手放してみると、案外体はしぶとくて、また動き始められるようにしてくれたりするのである。

 

ベッドの上で横たわり、まったく動く気のなさそうな自分の細胞に己の希望を丸投げして、じっと待っている。そんな時間は長い。けれどもそうやって待っていると、動いてくる。それが案外、以前よりも活発だったりする。

 

鯛の話はどこへ行ったのか?病み上がりはこんなもんだ。

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このページは、堀澤宏之が2012年2月15日 13:39に書いたブログ記事です。

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