2009年6月アーカイブ

第一回「高崎駅」

高崎駅1.JPGのサムネール画像  話は唐突に始まって、1997年10月1日。 
これは高崎駅に長野新幹線が開通した日である。
長野のオリンピックを翌年に控えた、群馬と長野間を結ぶ新幹線の開通は、嬉しかった。
その反面、横川と軽井沢間を結ぶ信越線が廃線になる経由もあり、新幹線に乗る金銭を持たない学生の我々は、手放しでは喜べなかった。

 その時分、私は中学三年生。授業が終わってから、新しい新幹線を拝むべく、わざわざ高崎駅まで行った思い出がある。
 友人三人と一緒に四人で、それぞれ部活動の練習を抜け出し、旧群馬町から遥々、自転車を駆って見物に行った。
 当時の高崎駅は、2009年現在と、その外観は左程変わらないが、駅周辺そして、駅構内は随分と様変わりした。
 まず、駅東口には、現在の様なぺディストリアンデッキは無く、ヤマダ電機本社も無かった。
東口駅前ロータリー横の、その場所には、テニスコートと駐車場があった。
駅西口には、現在同様ぺディストリアンデッキがあり、「商都高崎」を思わせる、高層ビルや、ビブレ、高島屋などのデパートは当時からあった。
 その周辺、ビル群のテナントや、小商いの商店などで、当時から残っている店は少ない。店を閉めたか、そうでない場合は、郊外の方に移って行く傾向がある。
 駅前広場も、緑化整備されおらず、乗り降りの車が、何時も折り重なって止まっていた。

 そして、目を見張る変貌を遂げたのが、駅構内である。たった12、3年程前の事だが、腕組みして回想しても、容易に、構内の前景を思い出せない。記憶の風化が、街並の変貌の大きさを物語っている。おぼろげな記憶を辿れば、自動改札はあったものの、現在よりも数は少なかったように思う。 
 現在改札横に在る切符売り場も、当時は離れた位置に在り、現在の様に、改札口の其処彼処に、駅員は立って居なかった。
 改札前に駅弁の販売所が一だけ有り、観光物産館も規模小さく、今の様な新幹線発着の大型駅と言うよりは、小都市の乗り換え駅と言った様相だった。
 構内の商店も、コージーコーナーやスターバックスコーヒー、ミスタードーナツ、マツモトキヨシなど、都会風の店は無く、駅ビルモントレーが隆盛していた。 
 立ち食い蕎麦屋、キオスクは当時から変わらずに在る。

 その変貌度合も、先に述べた長野新幹線の開通で速度が出た。
長野新幹線の開通を契機に、と言った印象さえある。 
駅の乗客数はこの12、3年で右肩上がりに増えているが、駅前から街中の人出は、随分と減った様に感じる。 
 休日など、駅前を歩く雑踏の中に、両手にデパートの袋をぶら下げた家族を、簡単に見付けられた。現在は、手ぶらで颯爽と歩く若者等が、ことに多い。

 中学三年生の私等は、駅へ着くと、すぐ入場券を買って、新幹線ホームへ駆け込んだ。
友人の一人はサッカー部に籍を置いており、練習に出ると見せかけて、部活動を抜け出して来た為、黄色いゼッケンを付けた儘だった。
胸と背中に、黒ヌキの文字で大きく、「9」と入っている。 
 やがて、授業中に調べた時間通りに、夕陽の中、光を裂いてホームに滑り込む様に入線して来た。白いボディに青いラインが映える流線形の車体。
新幹線「あさま」登場である。 
鉄道趣味の人たちが、数名、群れるとも離れるとも無しに切る、一眼レフのシャッター音が聞こえる。
 新幹線あさまがホームに停車し、嬉々とした表情で束の間の車内見学を楽しむ、私等と一眼レフの方々。
 大きな溜息如き排気音と共に扉が閉まり、また、黄昏の街へと走り去って行く。 
ガランとしたホームを、後にする私等。 
その瞬間、私は気付いて声を掛ける。
「おっ、靴、新しいじゃん」
ゼッケン君が答える。
「この靴、今日の為に下ろしたんだ、長野新幹線開通記念シューズだぜ」
私は、歩きながら、しばし絶句した。

 

 

筆者 抜井諒一

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