2009年9月アーカイブ

第三回「鼻高展望花の丘」

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親父が車を買った。
と言っても、今を遡る事、20年前の話である。
まだ、時代が平成になったばかりの頃、我が家に、新車が納車される日が来た。
学校から帰って来た私は、我が家の駐車場にピカピカの新車を見つけ、仰天した。
洒落た言葉で言えば、「サプライズ」だった。
当時、自営業者で、時間の融通が利いた親父は、
直ぐに私を乗せて、夕暮れ時の街へとドライブに出た。

今度の新車は、それまでの家にあった錆びついオンボロ車と違って、力強く、猛々しく、夕暮れ色が溶けだした高速道路を、風を裂きながら疾駆した。
私の中で、なんとも誇らしく、甘美なドライブの思い出として残っている。
当時、その新車を眺める度に、早く大人になって、自分の車を運転してみたいと、何度も夢見た。
しかし、高校に進学する頃には、運転への情熱はすっかり冷めてしまった。
皆が教習所に通い出す卒業時には、周囲の運転願望に相反して、私の願望は、すっかり無くなっていた。
大学に進学し、鉄道網が整備された首都圏に住む様になると、
自動車はどこか自分とは縁の薄い乗り物、社会的な拘束感を余儀なくされる乗り物として、遠くに見ていた。
出来れば、社会に出てからも「運転しないで済めば」、などと考えるまでになっていた。
何がきっかけで、そうなってしまったのか。
兎も角、そうなってしまった。

ところが、地方社会へ帰郷する身としては、生活上やはり運転免許が必要で、
慌てて学生生活も後半に差し掛かってから、運転免許を取得した。
その後、就職し、初めて自分の、子供時分にあれ程焦がれた、マイカーを持った。
ささやかな夢を実現した事になり、確かに嬉しかったが、感慨は思ったよりも浅かった。
しかし、やはり車を持っていて良かったと、思う瞬間が有るものだ。
それは、景色の良い場所をドライブしている時。

信号、道路標識、渋滞の車線、入り組んだ狭道。
日常の喧騒が纏わり着く、煩わしい街中を抜け、信号も道路標識もない、
山の麓の一本道を走ってる時は、爽快である。
絡まった糸が解ける様に、気持が軽くなり、心地よい。

高崎市でそれを味わうなら、「鼻高展望花の丘」が絶好である。
市街地からは2.30分も走れば着く。
最盛期は9.10月の「コスモス祭」が開催されている時期。
その名の通り、上毛三山を眺望する丘に、約40万本のコスモスたちが咲き競う。
遮蔽物が一切ない丘の上に立つと、空が近く感じ、吹き行く風もなんだか人懐っこく感じる。

暇ができた秋の休日。
車を洗ってから、鼻高展望花の丘へ、ふらりとドライブへ出掛けた。
丘の上には、心地良い秋風と満開のコスモス。
車を停め、壮大な景観に見入った。
振り返ると、駐車場にポツンとあるマイカーを、夕日が染み込むように照らしていた。
俄かに、車も悪くないと思った。
最近めっきり老けこんだ親父を、今度、連れて来てやろうと思った。


筆者 抜井諒一

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