2009年10月アーカイブ

第四回「旧下田邸」

RIMG0114.JPG高崎市も広くなった。
と思う。
2006(平成18)年、平成の大合併の一端で、
新町・箕郷町・群馬町・倉渕村・榛名町が高崎市に編入し、群馬県内では人口が一番多い都市になった。
これによって、長野県と埼玉県とに隣接し、観光などの取り組みにも一層、力が入っている。
2011(平成23)年には中核市への移行も予定されており、
所謂「大都市」への階段を駆け足で登っている感がある。




合併組の町である旧箕郷町は、戦国時代、長野業尚によって築かれた「箕輪城」がある事で知られている。
武田信玄との歴戦を経て、最後の城主となる12万石の井伊直政が、
1598(慶長3)年に、現在の高崎市街地に乾櫓が残っている和田城を改修して移った為、その歴史に幕を閉じた。
現代では、城跡のみが残る公園となっているが、その小高い丘から見下ろす町には、
土蔵や白壁などが散見され、城下町の面影が残っている。
この場所で、毎年10月に「箕輪城まつり」が開催されている。
甲冑を帯びた武者行列や、再現された箕輪城攻防戦が演じられ、
戦国の息吹を脈々と受け継いで行く。

その歴史の糸を紡ぐ様に、この地で代々、主は変われど歴史の舞台を見つめて来た屋敷が保存されている。
高崎市箕郷支所に併設されている、「旧下田邸」がそれである。
この旧下田低は、箕輪城落城後、城主長野氏の重臣であった下田大膳正勝の子孫が、
土地の代官として住んでいた屋敷跡。
邸内には、群馬県重要指定文化財指定の、江戸時代の書院と回遊式庭園が現存している。
数多の文人墨客たちが、「青翆園」の呼び名で親しんできたこの風流な庭園は、
「忠臣蔵」で名高い堀部安兵衛が築造したと伝えらてきた。
群馬県と忠臣蔵と、歴史の糸は思わぬところで繋がるものだ。

なるほど、一歩足を踏み入れると、空気感が違う。
池、木、石など、その配置によって生みだされる庭の景色は、芸術の域まで昇華されている。
屋敷内の随所に、数寄屋風の意匠が施されている。
ブドウとリスを透かし彫りで表現した欄間など、江戸文化の気品を感じる。
縁側に腰掛け、紅葉が鮮やかな庭園を眺めていると、鳥のさえずりが心を別天地へと誘う。


筆者 抜井諒一

2010年1月

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